バイオリンを習い始めてしばらく経つと、誰もがぶつかる大きな壁があります。それは「ポジション移動」です。今まで指板の端っこ(第1ポジション)だけで弾いていたのに、急に「手をずらして高い音をとる」と言われても、バイオリンにはギターのようなフレット(仕切り)がないため、どこを押さえれば良いのか途方に暮れてしまう方も多いのではないでしょうか。正確な音程をとるためには、指の位置を頭の中で地図のように描けるようになる必要があります。そこで役立つのが「ポジション表」です。この記事では、バイオリンのポジション表の見方から、効率的な覚え方、そしてスムーズな移動のコツまでを、初心者の方にもわかりやすく丁寧に解説していきます。見えないフレットを攻略して、バイオリンの指板を自由に駆け巡りましょう。
バイオリンのポジション表とは?仕組みと見方の基本

バイオリンを演奏する上で、楽譜と同じくらい重要なのが、指板上のどこを押さえるかを示す「ポジション表」の存在です。ピアノには鍵盤があり、ギターにはフレットがありますが、バイオリンには目印がありません。そのため、演奏者は頭の中にこの「表」をしっかりとイメージしておく必要があります。
「ポジション」=「人差し指の位置」というルール
まず最初に理解しておきたいのは、バイオリンにおける「ポジション」の定義です。これは単純に、「左手の人差し指(1の指)が、指板上のどこにあるか」によって決まります。最も基本的な位置である、渦巻き(スクロール)に一番近い場所で人差し指を押さえる状態を「第1ポジション」と呼びます。そこから指1本分(全音分)高い位置に人差し指をずらせば「第2ポジション」、さらにずらせば「第3ポジション」と、数字が増えるにつれて手全体が体の近く(高い音が出る方)へと移動していきます。
初心者のうちは第1ポジションだけで演奏することが多いですが、少し難しい曲になると、高い音を出すために手を移動させなければなりません。このとき、「今、自分の手が第何ポジションにあるのか」を常に把握しておくことが、正確な音程をとるための第一歩となります。ポジション表は、それぞれのポジションで各指がどの音を担当するのかを一覧にした地図のようなものです。
ポジション表が可視化する「見えないフレット」
バイオリンの指板は真っ黒でツルツルしていますが、ポジション表を見ると、そこには明確な「音の住所」があることがわかります。ポジション表は、本来バイオリンには存在しない「フレット」を可視化したものと言えるでしょう。例えば、A線(ラ)の上で第1ポジションの3の指(薬指)は「レ」の音を出しますが、第3ポジションに移動すると、今度は1の指(人差し指)がその「レ」の場所を担当することになります。
このように、同じ「レ」の場所であっても、ポジションが変われば担当する指が変わります。ポジション表を見ることで、「第3ポジションのときは、G線、D線、A線、E線のそれぞれの弦で、どの指がどの音になるのか」を整理して理解することができます。頭の中で曖昧だった指の位置関係が、表を見ることで整理され、暗闇の中で手探りしていた状態から、地図を持って歩くような安心感へと変わるはずです。
全音と半音の並びパターンを理解する
ポジション表を見る際に最も注目すべきポイントは、指と指の間隔です。バイオリンの運指において、指をくっつける場所は「半音」、指を離す場所は「全音」となります。第1ポジションで慣れ親しんだ指の間隔(例えば2の指と3の指がくっつくパターンなど)は、ポジションが変わっても基本的には同じルールで適用されます。
しかし、ポジションが上がる(高音域にいく)につれて、物理的な指板上の距離(全音の幅)は徐々に狭くなっていきます。第1ポジションでは広めに指を開いていた「全音」の幅も、第5ポジションあたりになるとかなり狭くなります。ポジション表で音の並びを確認しつつ、実際の演奏では「高くなるほど指の間隔が狭くなる」という物理的な特性も合わせて理解しておくことが、正しい音程を作る鍵となります。
初心者が最初に覚えるべき第1ポジションと第3ポジション

ポジションは第1から第10以上まで存在しますが、初心者がまず完璧にマスターすべきなのは「第1ポジション」と「第3ポジション」の2つです。なぜ第2を飛ばして第3なのか、その理由も含めて解説します。
すべての基本となる第1ポジション
第1ポジションは、バイオリン演奏の土台です。開放弦(指を押さえない状態)と組み合わせて演奏することが多く、最も響きが豊かで安定しやすいポジションです。まずはこの第1ポジションでの指の配置(全音・半音の関係)が、何も考えずに反射的にできるようになるまで練習することが大切です。
多くの教本では、第1ポジションだけで弾ける曲をたくさん練習します。これは単に簡単な曲を弾いているだけでなく、左手の指の形(フォーム)を固めるための重要な期間です。ここで正しいフォームが身についていないと、ポジション移動をした瞬間に音程が崩壊してしまいます。まずは第1ポジションという「実家」を住み心地の良いものにしておくことが、その後の旅立ち(ポジション移動)を成功させる秘訣です。
表現力が一気に広がる第3ポジション
第1ポジションの次に習得するのは、ほとんどの場合「第3ポジション」です。第3ポジションを使うと、E線(一番高い弦)で高い「ラ」の音や、さらにその上の「シ」「ド」まで音域が広がります。これにより、弾ける曲のレパートリーが飛躍的に増えます。また、高い音だけでなく、今までA線で弾いていた音をD線のハイポジションで弾くことで、より太く甘い音色を出すといった表現上の選択肢も生まれます。
第3ポジションは、バイオリンらしい華やかな音域を担当する重要なエリアです。最初は視界が高くなったような怖さを感じるかもしれませんが、慣れてくると「ここぞ」という聴かせどころで使われる美味しいポジションであることに気づくでしょう。
なぜ第2ではなく第3を先に学ぶのか
順番通りなら「第2ポジション」を先に習うべきだと思いませんか?しかし、多くのメソッドで第3ポジションが優先されるには、明確な理由があります。それは、「手のひらの小指側の側面が、バイオリンのボディ(横板)に触れるから」です。
第1ポジションから第3ポジションへ手を滑らせていくと、ちょうどよい位置で左手の側面が楽器の本体にコツンと当たります。この接触点がストッパー(目印)となり、目で見なくても「あ、ここは第3ポジションだ」と感覚的に位置を特定しやすいのです。一方、第2ポジションは第1と第3の間の「宙ぶらりん」な位置にあるため、身体的な目印がありません。そのため、まずは物理的な安定が得られる第3ポジションから習得するのが一般的です。
第1と第3の音程関係を理解する
第3ポジションを覚える際の大きなヒントとなるのが、第1ポジションとの「指の置き換え」という考え方です。第3ポジションの人差し指(1の指)の位置は、実は第1ポジションの薬指(3の指)の位置と同じです。つまり、第1ポジションで「薬指」で押さえていた場所に、手をずらして「人差し指」を持ってくれば、そこが第3ポジションになります。
この「1ポジの3の指=3ポジの1の指」という関係性を頭に入れておくと、ポジション表を丸暗記しなくても、相対的に位置を割り出すことができます。例えばA線なら、第1ポジションの3の指は「レ」です。ですから、第3ポジションの1の指も「レ」になります。このように、既知の情報(第1ポジション)を利用して新しい地図(第3ポジション)を読み解いていくのが効率的です。
ポジション表を活用した効率的な覚え方と練習法

ポジション表をただ眺めているだけでは、演奏できるようにはなりません。頭で理解した情報を、指先の筋肉に記憶させるための具体的な練習方法をご紹介します。
シールやテープを使った視覚的補助
まだ指板の距離感がつかめていない初期段階では、指板にシールやマスキングテープを貼って、視覚的なガイドを作るのが最も有効です。第1ポジションの指の位置だけでなく、第3ポジションの1の指(人差し指)が来る位置にもテープを貼ってみましょう。
このテープは、自転車でいう補助輪のようなものです。最初はテープを見て指を置いても構いませんが、徐々に「テープを見ずに指を置き、置いた後に合っているか目で確認する」という使い方にシフトしていきます。最終的には、指先の感覚と耳だけで正しい位置がわかるようにし、テープを卒業することを目指します。ただし、テープを貼る位置自体がズレていると意味がないので、必ずチューナーを使って正確な位置に貼りましょう。
開放弦を基準にする方法
バイオリンには4本の開放弦(G, D, A, E)があります。これらは指で押さえなくても鳴る正確な音程です。新しいポジションを練習する際は、この開放弦の音と同じ音(またはオクターブ違いの音)を探して、音程が合っているか確認する癖をつけましょう。
例えば、A線第3ポジションの1の指は「レ(D)」の音です。これを弾きながら、隣のD線の開放弦(レ)を同時に弾いてみてください。もし音程が合っていれば、美しく共鳴してハモります。これを「重音合わせ」と言います。自分の音感がまだ不安な場合でも、開放弦という絶対的な基準を使うことで、ポジションが正しいかどうかを物理的な響きで判断することができます。
【練習のヒント】
チューナーばかり見て練習すると、耳が育ちません。まずは自分の耳で音を聴き、開放弦との共鳴を確認してから、答え合わせとしてチューナーを見るようにしましょう。
音階練習(スケール)での定着
ポジションを体に覚え込ませるための最強のツールは「音階(スケール)」です。ハ長調(Cメジャー)やト長調(Gメジャー)などの基本的な音階を、第1ポジションだけでなく、第3ポジションを使って弾いてみます。
ただ音を並べるだけでなく、「今は第3ポジションにいる」「ここで第1ポジションに戻る」と、頭の中で自分の現在地を実況中継しながら弾くことが大切です。特に、ポジション移動を含むスケール教本(『小野アンナ』や『カール・フレッシュ』など)は、ポジション表を実践的に脳にインプットするために作られています。退屈に感じるかもしれませんが、毎日5分でもスケール練習を取り入れることで、ポジション表が頭の中に鮮明に描かれるようになります。
応用編:第2・第4・第5ポジションへのステップアップ

第1と第3ポジションが安定してきたら、いよいよその間の隙間や、さらに高音域を埋めていく作業に入ります。ここでは中級者への入り口となる応用ポジションについて解説します。
意外と難しい第2ポジションの特徴
第2ポジションは、第1と第3の間に挟まれたポジションです。実は、多くの学習者にとって第3ポジションよりも音程をとるのが難しいとされています。その理由は、先述の通り「手のひらを当てる物理的なガイドがない」ため、空中で手の位置を安定させなければならないからです。
しかし、第2ポジションは非常に便利です。例えば、ハ長調の曲で「シ・ド」といった半音関係をスムーズに弾く場合や、第1ポジションでは小指(4の指)を使わなければならない場面で、あえて第2ポジションを使うことで強い指(1や2)でしっかりビブラートをかけることができます。楽譜上で「II pos」や「2nd」と書かれていたら、それは「ここは第2ポジションの方が音楽的に美しく弾けますよ」という作曲者や編集者からのメッセージです。
高音域を担当する第4・第5ポジション
第3ポジションよりもさらに高い音域へ進むと、第4、第5ポジションが登場します。第4ポジションは、第3ポジションから指1本分上がった場所です。ここでも第3ポジションと同様に、楽器のボディに手が触れる感覚が変わってきます。第5ポジションになると、左手の親指がネックの付け根(カーブしている部分)に入り込んでいくような感覚になります。
このあたりのポジションになると、指板上の「全音」の幅がかなり狭くなってきます。指を密集させて押さえないと、すぐに音程が高くなってしまうので注意が必要です。特にE線の第5ポジション以上は、輝かしくソリスティックな音が出るため、協奏曲や華やかな小品で頻繁に使用されます。
ポジションごとの音色の違いを楽しむ
ポジションを変える理由は、単に「高い音を出すため」だけではありません。「音色を変えるため」に、あえて高いポジションを使うことが多々あります。これがバイオリンの奥深いところです。
例えば、「レ」の音はD線の開放弦でも出せますが、G線の第4ポジションでも出せます。開放弦の「レ」は明るく開放的ですが、G線のハイポジションで弾く「レ」は、太く、渋く、哀愁漂う音色になります。ポジション表をマスターするということは、単に音域を広げるだけでなく、こうした「音色のパレット」を増やすことでもあります。同じ音でもどの弦のどのポジションで弾くかによって、曲のニュアンスが劇的に変わる面白さをぜひ味わってください。
ポジション移動(シフティング)をスムーズに行うコツ

ポジションの位置を頭で理解しても、実際に曲の中で移動(シフティング)するときに音がポルタメント(ずり上げ音)だらけになったり、到着点がズレてしまったりしては台無しです。ここでは、スムーズで美しい移動のための身体の使い方を解説します。
左手の親指と腕の動きが重要
ポジション移動で最もよくある失敗は、「指先だけで移動しようとすること」です。指先だけを伸ばしたり縮めたりしても、正確な位置にはたどり着けません。重要なのは、「左手の親指も一緒に連れて行く」ことです。
第1から第3へ移動するときは、肘を少し内側に入れながら、腕全体で手を運びます。このとき、親指も人差し指たちと同じタイミングでスライドさせます。親指が第1ポジションの位置に置き去りにされていると、手が伸びきってしまい、正しい音程が取れないだけでなく、手を痛める原因にもなります。「エレベーターのように、手全体がひとつの箱として移動する」イメージを持つと良いでしょう。
ガイド音(捨て音)を使った練習
プロの演奏を聴くと、ポジション移動の瞬間に「ヒュッ」という小さなスライド音が聞こえることがあります。練習段階では、このスライド音をあえて大きく出しながら、移動の軌道を確認する方法が有効です。これを「ガイド音(捨て音)」を使った練習と呼びます。
例えば、A線第1ポジションの「シ(1の指)」から、第3ポジションの「レ(1の指)」へ移動する場合、力を抜いた状態で弦の上を滑らせ、「シ〜〜〜レ」とスライド音を出しながら移動します。これにより、指板の距離感を耳と手の感覚で測定することができます。最初はこの「捨て音」をしっかり聴き、距離感を掴んでから、徐々にスライドの速度を上げて音を目立たなくしていきます。
【脱力トレーニング】
バイオリンを構えずに、左手を太ももの上に置きます。
その状態で、太ももの上を「第1ポジションの位置」から「第3ポジションの位置」まで、スッスッと撫でるように滑らせてみてください。
この「摩擦なく滑る感覚」が、指板上でも必要です。ネックをギュッと握りしめていると、摩擦で手が動きません。移動の瞬間だけフッと力を抜くのがコツです。
力まないための脱力ポイント
スムーズな移動の最大の敵は「力み」です。ネックを強く握りしめていると、摩擦抵抗が大きくなり、素早い移動ができません。ポジション移動の瞬間は、弦を押さえている指の力を一瞬だけ緩めます(弦から指は離さず、触れているだけの状態にする)。
イメージとしては、電車が駅に到着する瞬間にブレーキを緩めるような感覚です。移動中は「浮いている」ような状態で滑らせ、目的のポジションに到着した瞬間に再び弦を沈め込んで音を出します。この「抜く・滑る・止める」の動作をゆっくり繰り返し練習することで、魔法のようにスムーズなポジション移動が手に入ります。
まとめ:バイオリンのポジション表をマスターして演奏の自由度を高めよう
バイオリンのポジション表について、その仕組みから覚え方、実践的な移動テクニックまで解説してきました。最初は、フレットのない指板に放り出されたような不安を感じるかもしれませんが、ポジション表という「地図」と、第1・第3ポジションという「拠点」をしっかり築くことで、指板全体を自由に使いこなせるようになります。
ポジション移動ができるようになると、高い音が出るようになるだけでなく、ビブラートをかけたり、弦を選んで音色を変えたりと、演奏の表現力が劇的に向上します。それは、白黒だった景色に色がつくような体験です。一朝一夕で身につくものではありませんが、毎日の音階練習や開放弦との合わせ練習を通じて、少しずつ指板の地図を頭と指に刻み込んでいってください。焦らずじっくりと取り組めば、必ず指板全体があなたの庭のように感じられる日が来ます。


