「世界で最も高い楽器」として知られるバイオリン、ストラディバリウス。テレビ番組で芸能人が値段当てクイズに挑戦したり、ニュースで「数億円で落札された」と報じられたりするのを目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。その優美なフォルムと、数百年を経ても色あせない神々しい音色は、バイオリンを弾く人はもちろん、音楽に詳しくない人さえも魅了し続けています。
しかし、そこでふと疑問に思うことはありませんか。「そんなに高価な楽器、一体誰が持っているの?」「プロのバイオリニストは全員自分で買っているの?」という点です。数億円から十数億円とも言われる価格は、一般的な演奏家の収入だけで手に入れられるものではありません。実は、ストラディバリウスの所有者には、有名な日本人バイオリニストだけでなく、意外な企業の社長や、文化を支える財団などが名を連ねています。
この記事では、ストラディバリウスを所有する日本人の著名人や演奏家、そしてその驚くべき価格の秘密について詳しく解説します。また、若手演奏家に楽器を貸し出す「貸与制度」の仕組みや、ストラディバリウス以外の名器についても深掘りしていきます。伝説の楽器を巡る、人間ドラマとロマンの世界へご案内しましょう。
ストラディバリウスを所有する有名な日本人たち

日本国内にも、この伝説的なバイオリンを所有している著名人が何人か存在します。テレビでよく見るあのバイオリニストから、ビジネス界で成功を収めた有名社長まで、その顔ぶれは実に多彩です。ここでは、公に知られている代表的な日本人所有者とその愛器についてご紹介します。
高嶋ちさ子さんと愛器「ルーシー」
テレビのバラエティ番組でも大活躍のバイオリニスト、高嶋ちさ子さん。彼女が愛用しているストラディバリウスは、1736年製の「ルーシー(Roussy)」という愛称を持つ楽器です。1736年といえば、製作者のアントニオ・ストラディバリが90歳を超えていた晩年の作品にあたります。一般的にストラディバリウスの「黄金期」は1700年から1720年頃と言われていますが、晩年の作品には熟練の技と独特の渋みがあり、非常に高い評価を受けています。
高嶋さんはこの楽器を約2億円で購入したと言われていますが、現在の市場価値はさらに上がっている可能性があります。彼女は以前、テレビ番組で「ローンを組んで買った」「家よりも高い」といったエピソードを明るく語っていましたが、演奏家にとって楽器はまさに命の次に大切なパートナーです。高嶋さんのパワフルで華やかな演奏スタイルを支えているのは、この「ルーシー」の力強い音色なのかもしれません。
ZOZO創業者・前澤友作氏のコレクション
ファッション通販サイトZOZOTOWNの創業者であり、宇宙旅行や多額の寄付活動でも知られる前澤友作氏も、ストラディバリウスの所有者として有名です。彼が2018年に購入したのは、1717年製の「ハンマ(Hamma)」という名器です。1717年はまさにストラディバリウスの黄金期ど真ん中であり、その価値は計り知れません。具体的な購入金額は公表されていませんが、数億円から十数億円クラスであることは間違いないでしょう。
前澤氏が素晴らしいのは、この貴重な楽器を単にコレクションとして飾っておくのではなく、「世界中の人々に音色を聴いてもらいたい」「才能ある演奏家に弾いてもらいたい」という思いを持っている点です。実際に、彼はこのストラディバリウスを国際的に活躍する若手バイオリニストに貸与する活動も行っており、文化芸術への貢献という側面でも注目されています。
CoCo壱番屋創業者・宗次徳二氏のメセナ活動
「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者である宗次徳二(むねつぐとくじ)氏も、世界有数のバイオリンコレクターとして知られています。宗次氏は個人的な趣味で集めているというよりは、若手音楽家を支援するための「メセナ活動(芸術文化支援)」として、最高級の楽器を多数購入されています。彼が所有するコレクションの中には、ストラディバリウスはもちろん、グァルネリ・デル・ジェスといった超一級品が含まれています。
宗次氏は「宗次ホール」という音楽ホールを名古屋に建設し、そこで開催されるコンクールの入賞者や、将来有望な演奏家に無償でこれらの名器を貸与しています。五嶋龍さんなどのトップアーティストも、宗次コレクションの楽器を使用していた時期がありました。カレーで築いた富を、日本のクラシック音楽界の未来のために還元するその姿勢は、多くの音楽家から尊敬を集めています。
美容外科医・麻生泰氏とYouTubeでの発信
最近、YouTubeなどで積極的に情報発信を行っている美容外科医の麻生泰(あそうとおる)氏も、ストラディバリウスの所有者の一人です。彼は「ドクターA」としても知られ、自身のチャンネルで高額なバイオリンを購入する様子や、プロの演奏家を招いて弾いてもらう動画などを公開しています。彼が所有するのは1702年製のストラディバリウスと言われています。
麻生氏のような個人の資産家が楽器を購入し、その魅力をSNS等で発信することは、これまで閉ざされていた「名器の世界」を一般の人々に身近に感じさせるきっかけになっています。楽器商との生々しいやり取りや、実際に音を出してみる様子などは、従来のクラシックファン以外層にもバイオリンの凄さを伝える良い機会となっているのです。
千住真理子さんと「デュランティ」の運命的な出会い
バイオリニストの千住真理子さんが所有するストラディバリウス「デュランティ」(1716年製)も、非常に有名な楽器です。この楽器は約300年間、ほとんど誰の手にも渡らずに眠っていたため、保存状態が奇跡的に良く、「眠れる森の美女」とも称されていました。千住さんは一度バイオリンをやめようと考えていた時期があったそうですが、このデュランティの音色に出会い、その音に導かれるように演奏活動を再開したという運命的なエピソードがあります。
彼女は財団などからの貸与ではなく、個人でこの楽器を購入しました。その額は数億円とも言われ、家族や関係者を説得し、人生をかけてこの楽器と共に歩む決意をしたそうです。デュランティは非常に個性が強く、弾きこなすのが難しい楽器だと言われていますが、千住さんの演奏によってその深い精神性が引き出され、多くの聴衆の心を揺さぶり続けています。
ストラディバリウスの価格はなぜ高い?億超えの理由

ストラディバリウスの価格は、一般的な感覚からは想像もつかないような金額です。安いものでも数億円、最高級のものとなれば10億円、20億円という値がつきます。なぜ、木でできた「ただの楽器」にこれほどの価値がつくのでしょうか。ここでは、その価格高騰の背景にある理由を、希少性、音色、そして資産価値という観点から解説します。
現存数が限られた「骨董品」としての価値
アントニオ・ストラディバリは、93歳で亡くなるまでの生涯で約1100挺から1300挺の楽器を製作したと言われています。しかし、長い歴史の中で紛失したり、事故で破損したり、戦火に巻き込まれたりして、現在世界に残っているのは約600挺ほどしかありません。バイオリンはその構造上、適切なメンテナンスをすれば数百年使い続けることができますが、それでも数は減る一方です。
新たに作ることができない「供給がストップした商品」であるため、欲しい人が増えれば増えるほど価格は上がります。特に近年は、中国やロシアなどの新興富裕層がステータスシンボルや投資対象としてストラディバリウスを求めるようになり、需要が急増しました。これが、20世紀後半から21世紀にかけて価格が爆発的に高騰した大きな要因の一つです。
現代科学でも再現できない「黄金期」の音色
ストラディバリウスの中でも特に高値で取引されるのが、1700年から1720年頃に作られた「黄金期(ゴールデン・ピリオド)」の作品です。この時期の楽器は、木材の選定、ニスの調合、ボディのアーチ(膨らみ)の形状など、すべてが完璧なバランスで保たれているとされます。その音色は、ホールの隅々まで透き通るように響き渡る「遠達性(プロジェクション)」と、演奏者の感情を無限に表現できる色彩の豊かさを兼ね備えています。
現代の科学技術を駆使して、CTスキャンで構造を解析したり、木の成分を調べたりしても、ストラディバリウスの音色を完全に再現することは未だにできていません。当時の気候変動による木材の質の特殊性や、今は失われてしまったニスの秘伝レシピなど、数々の謎が残されています。「現代の技術でも超えられない」という神話性が、その価値をさらに高めているのです。
投資対象としての安定性と市場動向
富裕層にとって、ストラディバリウスは単なる楽器ではなく、非常に優秀な「実物資産」でもあります。絵画や金(ゴールド)と同様に、ストラディバリウスの価値は過去数百年間、一度も暴落したことがないと言われています。むしろ年々右肩上がりで価値が上昇しているため、資産をインフレから守るための投資先として最適なのです。
銀行にお金を預けていても利子がつかない時代において、持っているだけで価値が上がり、しかも世界的な名誉も得られるストラディバリウスは、超富裕層にとって魅力的なポートフォリオの一部となります。実際に、演奏は一切せずに、金庫で大切に保管しているだけのコレクターや投資ファンドも海外には存在します。これが、演奏家が自力で楽器を買うことをますます難しくしている皮肉な現実でもあります。
日本国内でストラディバリウスを保有する財団と貸与制度

個人で購入するにはあまりにも高額になってしまったストラディバリウス。しかし、才能ある演奏家が楽器を持てないというのは、音楽界にとって大きな損失です。そこで重要な役割を果たしているのが、楽器を保有し、演奏家に無償または安価で貸し出す「財団」や企業の存在です。日本はこの分野において、世界的に見ても非常に充実した環境を持っています。
世界最大級の保有数を誇る「日本音楽財団」
日本財団の姉妹団体である「日本音楽財団(Nippon Music Foundation)」は、世界でもトップクラスの質と量を誇る弦楽器コレクションを持っています。ストラディバリウスだけで15挺以上、さらにグァルネリ・デル・ジェスなども保有しており、そのすべてが一級品です。これらの楽器はガラスケースに展示されるのではなく、世界中で活躍するトップアーティストたちに無償で貸与されています。
貸与を受けるには、厳正な審査とオーディションを通過しなければなりません。過去には諏訪内晶子さん(ストラディバリウス「ドルフィン」)、樫本大進さん(「ジュピター」)、庄司紗矢香さん(「ヨアヒム」)など、日本を代表するスターたちがこの財団の楽器を借りて世界へ羽ばたきました。また、レイ・チェンなどの海外の著名な演奏家にも貸与を行っており、音楽文化の振興に多大な貢献をしています。
サントリー芸術財団やその他の企業コレクション
飲料メーカーのサントリーが運営する「サントリー芸術財団」も、歴史ある楽器貸与活動を行っています。例えば、世界的に評価の高い「ウィルヘルミ」というストラディバリウスなどがコレクションに含まれています。他にも、NPO法人イエロー・エンジェル(宗次徳二氏が設立)や、楽器販売大手など、いくつかの組織が同様の活動を行っています。
これらの活動は「メセナ(文化擁護)」と呼ばれ、企業の社会的責任(CSR)の一環として行われます。企業にとっては、自社の楽器が有名なコンクールで優勝したり、名盤と呼ばれるCDの録音に使われたりすることで、高いブランドイメージを得ることができます。演奏家にとっては最高の武器を手に入れられ、企業にとっては名誉が得られる、まさにWin-Winの関係が築かれているのです。
若手演奏家にとっての「貸与」の重み
若手のバイオリニストにとって、財団からストラディバリウスを貸与されることは、単に良い楽器を使えるという以上の意味を持ちます。「日本音楽財団から楽器を借りている」という事実は、それだけで「世界レベルの実力者として認められた」というお墨付き(ステータス)になるからです。コンクールのプロフィール欄に「使用楽器:Stradivarius (loaned by Nippon Music Foundation)」と記載されることは、審査員や聴衆に対する強力なアピールになります。
しかし、貸与には期限があり、数年ごとに更新の審査が行われる場合がほとんどです。結果を出し続けなければ楽器を返却しなければならないというプレッシャーは相当なものです。名器を持つことは、演奏家に対して「その楽器に見合う成長」を強制的に促す試練でもあります。彼らはその重圧に耐え、楽器と共に成長していくのです。
ストラディバリウス以外の名器と「所有」の哲学

バイオリンの名器といえばストラディバリウスが圧倒的に有名ですが、実は専門家や演奏家の間では、それに並ぶ、あるいはそれ以上に愛される楽器が存在します。また、数百年生き続ける楽器を人間が「所有する」ということに対して、独特の哲学や考え方があります。ここでは、もう一つの頂点であるグァルネリや、楽器継承の思想について触れます。
もう一つの頂点「グァルネリ・デル・ジェス」
ストラディバリウスと双璧をなす名器として知られるのが、「グァルネリ・デル・ジェス」です。バルトロメオ・ジュゼッペ・グァルネリという製作者が作ったバイオリンで、ラベルに十字架のマーク(IHS)が入っていることから「デル・ジェス(イエスの)」と呼ばれます。ストラディバリウスが「女性的で華やか、完璧な美しさ」と評されるのに対し、グァルネリは「男性的で野太く、渋みのある音」と表現されることが多いです。
伝説のバイオリニスト、ニコロ・パガニーニが生涯愛した「カノン」という楽器もグァルネリでした。現代でも、五嶋みどりさんなど、あえてストラディバリウスではなくグァルネリを選ぶ巨匠は少なくありません。現存数がストラディバリウスよりもはるかに少ない(約150挺程度)ため、オークションに出た際の価格はストラディバリウスを凌駕することさえあります。
アマティやその他のオールド・バイオリン
バイオリン製作の始祖とも言える「アマティ家」の楽器も、歴史的価値が高い名器です。アントニオ・ストラディバリも、ニコロ・アマティという師匠の下で修行しました。アマティの楽器は、室内楽に向いている繊細で甘美な音色が特徴で、貴族的な響きを持っています。現代の大ホールでソリストが弾くには音量が少し控えめな場合もありますが、その美しさは格別です。
他にも、ベルゴンツィ、ガダニーニ、ロッカなど、イタリアには多くの名工が存在しました。これらの楽器も「オールド・バイオリン」として、数千万円から億円単位で取引されています。ストラディバリウスだけが名器なのではなく、それぞれの楽器に個性があり、演奏家との相性があるのです。
楽器は「所有」するものではなく「預かる」もの
数億円のバイオリンを持つコレクターや演奏家たちが口を揃えて言う言葉があります。それは、「私たちは楽器の所有者ではなく、次世代への一時的な保管者(カストディアン)に過ぎない」という言葉です。人間の寿命は長くても100年ほどですが、名器は300年、400年、そしておそらく今後も数百年と生き続けます。
かつてマリー・アントワネットが聴いたかもしれない音、歴史上の巨匠ハイフェッツが弾いた楽器。それがいま、日本の若手演奏家の手にある。そしてその演奏家が引退した後は、また次の世代の誰かの手に渡っていく。楽器は、所有者の人生を超えて旅を続ける存在です。だからこそ、所有者は楽器を傷つけないよう細心の注意を払い、最高のコンディションで次の時代へバトンタッチする責任を背負っているのです。
まとめ:バイオリンのストラディバリウス所有者が背負う物語
バイオリンの最高峰、ストラディバリウス。その所有者について見ていくと、単なる「高い買い物」以上の深いドラマが見えてきます。日本国内には、高嶋ちさ子さんや千住真理子さんのように人生のパートナーとして愛用する演奏家もいれば、前澤友作氏や宗次徳二氏のように、文化貢献のために巨額の私財を投じるパトロンたちもいます。
価格が数億円から十数億円にも上る背景には、二度と作れない希少性と、現代科学をも凌駕する音色の神秘、そして資産としての揺るぎない価値がありました。しかし、どれほど高額であっても、楽器はケースの中にしまっておくためではなく、奏でられるために存在します。
日本音楽財団などの貸与制度によって、世界的な名器が才能ある若手演奏家の手に渡り、その音色が私たちの耳に届くことは、非常に幸運なことです。もしコンサートやテレビでストラディバリウスの音色を聴く機会があれば、その楽器が300年の時を超えて、どのような旅をしてそこにあるのか、そして誰の想いによって支えられているのかを想像してみてください。その音色は、きっと今まで以上に深く、美しく響くことでしょう。

