クラシック音楽の中でもひときわ知名度が高く、テレビや式典などで耳にする機会も多い名曲、『威風堂々』。「だれもが一度は聴いたことのあるメロディ」として親しまれていますが、この曲がどのような背景で生まれ、作曲者エドワード・エルガーがどのような人物だったのかをご存知でしょうか?
実はエルガー自身もバイオリニストであり、長くバイオリン教師として生計を立てていた経験があります。そのため、彼の作品には弦楽器奏者にとって魅力的であり、かつ演奏効果の高い要素がたくさん詰め込まれているのです。単なる行進曲として聴くだけではもったいない、深い味わいと情熱がそこには隠されています。
この記事では、エドワード・エルガーという人物の魅力から、『威風堂々』第1番の聴きどころ、そしてバイオリンで演奏する際のポイントまでを丁寧に解説します。歴史的背景や楽曲の構造を知ることで、あなたの演奏はより深みのあるものになるはずです。イギリスが生んだ偉大な音楽の世界へ、一緒に足を踏み入れてみましょう。
エドワード・エルガーと『威風堂々』とは?知っておきたい基本情報

まずは、作曲家エドワード・エルガーという人物と、彼の代表作である『威風堂々』についての基本的な情報から紐解いていきましょう。華やかな楽曲の裏側には、意外な苦労人の姿や、文学的なタイトルの由来がありました。
エドワード・エルガーってどんな作曲家?
サー・エドワード・ウィリアム・エルガー(1857-1934)は、イギリスを代表する偉大な作曲家です。しかし、彼の音楽人生は決して順風満帆なエリートコースではありませんでした。当時のイギリス音楽界では、正規の音楽教育を受けることが成功へのパスポートと考えられていましたが、エルガーは経済的な理由から音楽大学へ進学することができず、そのほとんどを独学で学びました。
父が楽器店を営んでいたため、幼い頃から様々な楽器に触れる環境にはありましたが、彼は地元のウスターでバイオリン教師や教会のオルガニストとして働きながら、コツコツと作曲活動を続けていました。いわゆる「遅咲き」の作曲家であり、世間に広く認められたのは40歳を過ぎてからのことです。この長い下積み時代が、彼の人柄や音楽に深い陰影と温かみを与えています。
また、彼を語る上で欠かせないのが、妻アリスの存在です。身分違いの恋を経て結婚したアリスは、エルガーの才能を誰よりも信じ、彼を励まし続けました。有名な『愛の挨拶』は、彼がアリスへの婚約記念に贈った曲として知られています。エルガーの成功の影には、常にアリスの献身的な支えがあったのです。
行進曲『威風堂々』は全6曲ある?
一般的に「威風堂々」といえば、あの有名なメロディを持つ曲を思い浮かべる方がほとんどでしょう。しかし、正式なタイトルは『行進曲「威風堂々」作品39』であり、実はこれ、全6曲からなる行進曲集なのです。私たちが普段耳にしているのは、その中の「第1番 ニ長調」です。
エルガー自身が生前に完成させて出版したのは第1番から第5番までの5曲です。第1番があまりにも有名になりすぎてしまったため、他の曲が演奏される機会は比較的少ないのですが、それぞれに異なる個性と魅力があります。第4番などは比較的耳にする機会も多く、第1番に負けず劣らずの高揚感を持った名曲です。
変わったタイトルの意味とシェイクスピア
『威風堂々』という日本語のタイトルは、四字熟語として非常にしっくりくる響きを持っていますが、原題は英語で『Pomp and Circumstance』といいます。直訳すると「壮麗な儀式」や「華麗なる式典」といったニュアンスになりますが、この言葉の出典はシェイクスピアの戯曲『オセロ』です。
『オセロ』の第3幕第3場にあるセリフ、「Pride, pomp, and circumstance of glorious war!(名誉ある戦争の誇り、壮麗さ、そして立派な儀式!)」から引用されています。ここで使われている「Pomp」は華やかさや壮大さを、「Circumstance」は物々しい儀式や状況を指します。
エルガーはこのタイトルを、単に戦争を賛美するために付けたわけではありません。むしろ、軍隊行進曲という形式を借りながら、人間の精神の高揚や、威厳ある振る舞い、そして人生における「ハレの場」の輝きを表現したかったのではないでしょうか。日本語訳の「威風堂々」は、まさにその堂々たる音楽の姿を見事に言い表した名訳と言えるでしょう。
イギリス第2の国歌?『威風堂々』第1番の聴きどころと歴史

『威風堂々』第1番は、単なるクラシック音楽の一曲という枠を超え、イギリス国民にとって特別な意味を持つ曲となっています。ここでは、その熱狂的な人気の秘密と、曲の構成について詳しく解説します。
初演時の大熱狂とアンコール伝説
1901年、リヴァプールで行われた『威風堂々』第1番(と第2番)の初演は大成功を収めましたが、その数日後にロンドンで行われたプロムナード・コンサート(プロムス)での初演は、まさに伝説的なものとなりました。指揮者のヘンリー・ウッドによると、曲が終わるやいなや聴衆は総立ちとなり、叫び声を上げ、会場が揺れるほどの大喝采が巻き起こったといいます。
当時のコンサートでは行進曲に対してアンコールを行うことは稀でしたが、聴衆の興奮は収まらず、なんと2度もアンコール演奏が行われました。これは音楽史上でも稀に見る出来事であり、エルガーの名声を不動のものにした瞬間でもありました。この曲が持つ、人々の心を鷲掴みにする圧倒的なパワーは、初演の時からすでに証明されていたのです。
中間部のメロディ「希望と栄光の国」
この曲の最大の特徴であり、最も愛されている部分は、中間部(トリオ)に現れるゆったりとした美しい旋律です。このメロディを聴いて涙するイギリス人も少なくありません。実は、この旋律があまりに素晴らしかったため、当時の国王エドワード7世が「このメロディには歌詞をつけるべきだ」と提案したという逸話が残っています。
その提案を受けて、後にこの旋律を用いた『戴冠式頌歌』が作られ、さらにそこから独立した歌曲として『Land of Hope and Glory(希望と栄光の国)』が生まれました。歌詞には「希望と栄光の国、自由の母よ…」という愛国的な言葉が並び、イギリス国民の誇りを象徴する歌として定着しました。現在では、正式な国歌『God Save the King(神よ王を守りたまえ)』に次ぐ、「第2の国歌」として愛唱されています。
イギリス最大の音楽祭「プロムス」での伝統
ロンドンで毎年夏に開催される世界最大級のクラシック音楽祭「BBCプロムス」。その最終夜(ラスト・ナイト・オブ・ザ・プロムス)のクライマックスでは、必ずといっていいほど『威風堂々』第1番が演奏されます。この時、会場のロイヤル・アルバート・ホールを埋め尽くす聴衆は、イギリス国旗(ユニオンジャック)を振りながら、中間部の『希望と栄光の国』をオーケストラに合わせて大合唱します。
その光景は圧巻の一言です。クラシックのコンサートというよりは、まるでロックフェスやスポーツのスタジアムのような熱気に包まれます。足を踏み鳴らし、肩を組み、声を張り上げて歌う人々の姿からは、音楽が持つ「人を一つにする力」を強く感じることができます。この伝統行事はテレビで世界中に中継され、多くの音楽ファンを魅了し続けています。
曲の構成を徹底解剖
『威風堂々』第1番の構成は、非常に明快な「複合三部形式」をとっています。わかりやすく言えば、「A – B – A」というサンドイッチのような形です。このメリハリの良さが、聴く人を飽きさせないポイントになっています。
まず冒頭の「A」部分は、ニ長調の快活でエネルギッシュな行進曲です。弦楽器による細かい刻みや、金管楽器の華やかなファンファーレが、ワクワクするような高揚感を生み出します。ここでは「急」の要素が強く、聴く人の心拍数を上げるような勢いがあります。
続いて現れる「B」部分が、先ほど紹介したトリオ(中間部)です。調性はト長調に変わり、テンポはゆったりと落ち着きます。ここで一気に「緩」の世界へ誘われ、あの感動的なメロディが弦楽器によって朗々と奏でられます。一度目は静かに、二度目はオーケストラ全体で壮大に歌い上げられます。
そして再び「A」部分が戻ってきて、最初の興奮が蘇ります。最後には、中間部のメロディが主調であるニ長調で、より輝かしく再現され(コーダ)、圧倒的なフィナーレを迎えます。この「急→緩→急→大団円」というドラマチックな展開が、聴き手にカタルシスを与えるのです。
エルガーはバイオリンの先生だった?弦楽器への深い愛情

エルガーの作品、特に管弦楽曲を聴いていると、弦楽器パートが非常に充実しており、弾きごたえがあることに気づきます。それもそのはず、彼はピアノよりも先にバイオリンを習得し、プロの演奏家として活動していた経歴の持ち主なのです。
作曲家になる前はバイオリン講師として活躍
エルガーは若い頃、地元のウスターシャーでバイオリン教師として生計を立てていました。また、地元のオーケストラでコンサートマスターを務めたり、室内楽の演奏会に参加したりと、演奏家としての活動も精力的に行っていました。ロンドンへレッスンを受けに通った時期もあり、一時は本格的なバイオリン独奏者を目指していたこともあったようです。
しかし、彼は自分の演奏技術に限界を感じ、徐々に作曲へと軸足を移していきます。とはいえ、長年にわたる演奏と指導の経験は無駄にはなりませんでした。バイオリンという楽器がどのように鳴り、どの音域が最も美しく響き、どのような奏法が効果的かを、彼は身体感覚として熟知していたのです。
バイオリンの特性を知り尽くしたオーケストレーション
『威風堂々』の楽譜を見ると、バイオリンパートには演奏効果の高いフレーズが散りばめられています。例えば、冒頭のエネルギッシュな部分では、弓の元を使った力強いスピッカートやマルカートが要求され、弦楽器特有の「切れ味」が曲の推進力を生み出しています。
一方、中間部のメロディでは、G線(一番低い弦)のハイポジションを効果的に使っています。G線の高い音域は、太くて温かみがあり、人間の声に近い情感豊かな音色がします。エルガーはこの特性を理解していたからこそ、あのような感動的な旋律を弦楽器群に委ねたのでしょう。彼のスコアには、弦楽器奏者が「弾いていて気持ちいい」と感じるツボが押さえられているのです。
エルガーが残したその他のバイオリン名曲
『威風堂々』以外にも、エルガーはバイオリンのために多くの名曲を残しています。最も有名なのは、やはり『愛の挨拶(Salut d’amour)』でしょう。この曲は、ピアノとバイオリンのために書かれた小品で、妻アリスへの愛に溢れた甘美なメロディが特徴です。バイオリン学習者の発表会曲としても定番中の定番です。
また、晩年に書かれた『バイオリン協奏曲 ロ短調』は、バイオリン協奏曲の歴史における傑作の一つです。約50分にも及ぶ大作で、高度な技術と深い精神性が要求される難曲ですが、その情熱的な旋律は多くの巨匠たちによって愛奏されています。他にも『気まぐれ女(La Capricieuse)』など、バイオリンの技巧を楽しめる小品もあり、エルガーがいかにこの楽器を愛していたかがわかります。
バイオリンで弾く『威風堂々』!難易度と演奏のコツ

さて、ここからは実際にバイオリンで『威風堂々』第1番を演奏したいと考えている方への実践的なアドバイスです。オーケストラ曲ですが、ソロやアンサンブル用に編曲された楽譜も多く出版されています。自分のレベルに合った楽譜を選び、かっこよく弾きこなしましょう。
初心者でも弾ける?編曲版の選び方
『威風堂々』は非常に人気があるため、様々なレベルに合わせた編曲版が存在します。
初心者の方には、第1ポジション(ファーストポジション)だけで弾けるようにアレンジされた楽譜がおすすめです。スズキ・メソードなどの教本には含まれていませんが、市販の「バイオリン名曲集」などの初心者向け楽譜にはよく収録されています。調号(シャープやフラット)が少なくなるように、原曲のニ長調からハ長調やト長調に移調されている場合もあります。
中級者以上の方は、原曲通りの調(ニ長調)で、サードポジション以上を使用する楽譜に挑戦してみましょう。ポジション移動を使うことで、より多彩な音色表現が可能になり、原曲の雰囲気に近づけることができます。特に中間部のメロディは、高いポジションを使ってG線やD線で弾くことで、あの濃厚な響きを再現できます。
有名な中間部を美しく歌わせるボウイングの工夫
中間部の「希望と栄光の国」のメロディを弾く際、最も大切なのは「息の長いフレーズ」を作ることです。弓をたっぷりと使い、音が途切れないようにレガートで繋いでいきます。しかし、ただ長く弾くだけでは平坦になってしまいます。
演奏のヒント:
クレッシェンド(だんだん強く)やデクレッシェンド(だんだん弱く)を意識して、フレーズに山を作りましょう。特に、フレーズの頂点に向かって弓のスピードを上げたり、圧力を少しかけたりすることで、感情の高まりを表現できます。また、ビブラートも重要です。ゆったりとした幅の広いビブラートをかけることで、朗々とした歌い回しになります。
リズムの切れ味を出すマルカート奏法
中間部とは対照的に、冒頭の行進曲部分はリズムが命です。ここでは「マルカート(一音一音をはっきりと)」な奏法が求められます。弓の元の方を使い、手首を柔軟に使って、弦をしっかりと「噛む」ように発音しましょう。
音が流れてしまわないように、各音の間にわずかな隙間を感じるくらいの意識で弾くと、行進曲らしい歯切れの良さが生まれます。特に付点リズム(タッカ、タッカというリズム)が甘くならないように注意してください。メトロノームを使って、正確なリズムを体に刻み込む練習が効果的です。
オーケストラパートを一人で再現するための重音の扱い
ソロ用の編曲楽譜では、オーケストラの厚みを出すために「重音(ダブルストップ)」が多用されることがあります。2つの弦を同時に弾く技術ですが、これがなかなか厄介です。
重音をきれいに響かせるコツは、主旋律(メロディ)となる音の方に少しだけ重心を置くことです。両方の音を均等に出そうとすると、力んで音が潰れてしまいがちです。「下の音がメロディなら下の弦に、上がメロディなら上の弦に」弓の重みを乗せるイメージを持ちましょう。また、左手の指が隣の弦に触れてしまわないよう、指をしっかりと立てて押さえることも基本かつ重要なポイントです。
楽曲の背景を知って表現力を高めるヒント

技術的な練習も大切ですが、曲が生まれた背景や作曲家の想いを知ることで、演奏に「魂」が宿ります。『威風堂々』を単なる元気な行進曲で終わらせないための、表現のヒントを探ります。
エドワード朝の時代背景と当時のイギリス
『威風堂々』第1番が作曲された1901年は、ヴィクトリア女王が崩御し、エドワード7世が即位した年です。これは「エドワード朝」と呼ばれる時代の始まりであり、大英帝国が最も繁栄し、世界中に植民地を持っていた時代の最後の輝きとも言える時期でした。
この曲には、当時のイギリス国民が抱いていた自信、誇り、そして楽観的な空気が反映されています。演奏する際は、背筋を伸ばし、胸を張って歩く英国紳士や淑女の姿をイメージしてみてください。縮こまった演奏ではなく、堂々とした、開放的な音色を目指すことが、この曲の本質に近づく鍵となります。
友人イェーガー(ニムロッド)との関係とアドバイス
エルガーには、アウグスト・イェーガーという親友がいました。彼は音楽出版社の編集者であり、エルガーの才能を早くから見抜き、常に的確なアドバイスを送った人物です。『エニグマ変奏曲』の有名な第9変奏「ニムロッド」は、このイェーガーを描いたものです。
『威風堂々』を作曲した際も、エルガーはイェーガーに手紙を送っています。「とてつもない曲ができた。君も気に入るはずだ」と自信満々に伝えていたそうです。普段は自信なげなことも多かったエルガーが、これほどの手応えを感じていたことからも、この曲に込めたエネルギーの凄まじさが伝わってきます。演奏する私たちも、その「自信」を受け継いで音にしたいものです。
曲に込められた「気品」と「情熱」のバランス
『威風堂々』を演奏する上で最も難しいのが、「騒がしくならないこと」です。行進曲だからといって、ただ大きく荒々しく弾いてしまうと、この曲が持つ「気品(Nobility)」が失われてしまいます。エルガーの音楽には、常に英国的な節度と品格が必要です。
情熱的でありながらも、どこか理性的で崩れない美しさ。このバランス感覚こそが、エルガー音楽の醍醐味です。フォルテ(強く)の部分でも、音が割れないようにコントロールし、美しい響きを保つこと。そしてピアノ(弱く)の部分では、繊細なニュアンスを大切にすること。この「気品」を意識するだけで、あなたの演奏は一段と大人びた魅力的なものになるでしょう。
まとめ:エドワード・エルガー『威風堂々』を深く理解して演奏を楽しもう
エドワード・エルガーの『威風堂々』は、単なる運動会のBGMや卒業式の定番曲というだけでなく、作曲家の人生や当時のイギリスの空気が色濃く反映された傑作です。バイオリニストでもあったエルガーが、弦楽器のために用意した極上のメロディとリズムは、弾けば弾くほどにその奥深さを教えてくれます。
記事のポイントを振り返ってみましょう。
- エルガーは独学で道を切り開き、バイオリン教師としての経験を持つ作曲家でした。
- 『威風堂々』は全6曲あり、第1番の中間部が「希望と栄光の国」として愛されています。
- タイトルはシェイクスピアの『オセロ』から引用され、壮麗な儀式の意味を持ちます。
- バイオリンでの演奏では、中間部のレガート奏法と主部のマルカート奏法の対比が鍵です。
- 当時の大英帝国の誇りと気品をイメージして演奏することで、表現力が格段に上がります。
次に楽器を手にしてこの曲を弾くときは、ぜひエルガーの姿や、プロムスで熱狂する人々の光景を思い浮かべてみてください。きっと、今までとは違う、誇り高い音があなたのバイオリンから響き渡ることでしょう。
名曲の背景を知り、技術を磨き、そして何より心を込めて演奏する楽しさを、この『威風堂々』を通じて存分に味わってください。



