バイオリンの演奏を聴いていると、時折ハッとするような、透明で高く澄んだ音が聴こえてくることがあります。「口笛のようだ」と形容されるその音色は、楽曲の中で幻想的な雰囲気を生み出す特別なスパイスです。
楽譜を見てみると、音符の上に小さな「◯」がついていたり、見慣れない「◇(ひし形)」の音符が書かれていたりして、「これはいったいどうやって弾くの?」と戸惑った経験がある方も多いのではないでしょうか。
この奏法は「フラジオレット」または「ハーモニクス」と呼ばれ、バイオリンの多彩な表現になくてはならないテクニックの一つです。一見難しそうに見えますが、仕組みを理解し、正しい指のタッチと弓の使い方をマスターすれば、誰でも美しい音を鳴らすことができます。
この記事では、フラジオレットの基本的な仕組みから、楽譜の読み方、そしてきれいに鳴らすための具体的なコツまでを、初心者の方にもわかりやすく丁寧に解説していきます。憧れのあの音色を、あなたのバイオリンでも響かせてみましょう。
バイオリンのフラジオレットとは?仕組みと特徴

まずは、フラジオレットという奏法が一体どのようなものなのか、その正体と仕組みについて理解を深めていきましょう。仕組みを知ることで、なぜ「軽く触れるだけ」で高い音が鳴るのかが腑に落ち、練習の効率も上がります。
フラジオレット(ハーモニクス)の基本的な意味
フラジオレットとは、弦を指板まで強く押さえ込まずに、指先で弦の特定の場所に軽く触れた状態で弓を弾き、倍音(ばいおん)と呼ばれる高い音を取り出す奏法のことです。バイオリンだけでなく、ギターやチェロなどの弦楽器全般で使われる技術です。
一般的には「ハーモニクス(Harmonics)」と呼ばれることも多いですが、バイオリンの世界では「フラジオレット」という呼び名も広く定着しています。厳密には、フラジオレットは同名の古い木管楽器の音色に似ていることから名付けられた奏法名であり、ハーモニクスは音響学的な「倍音」そのものを指す言葉ですが、演奏の実践においてはどちらも同じ奏法を指す言葉として使われています。
通常、バイオリンは弦を指で押さえることで弦の振動する長さを短くし、音程を変えています。しかしフラジオレットでは、弦を指板に押し付けません。弦が振動したままの状態を保ちつつ、一点に触れることで振動のモードを変化させ、特殊な音色を生み出しているのです。
なぜ高い音が鳴るの?倍音の仕組み
フラジオレットで高い音が鳴る理由は、「倍音」という物理現象にあります。私たちが普段耳にしているバイオリンの音(基音)には、実はその中にたくさんの高い音成分が含まれています。これを倍音と言います。
弦楽器の弦は、全体が大きく振動しているのと同時に、半分、3分の1、4分の1……といった細かい分割点でも振動しています。フラジオレット奏法では、この「分割点(節・ノード)」に指を置くことで、全体の振動(基音)を止め、特定の倍音だけを共鳴させて取り出しています。
このように、弦を整数で割ったポイントに触れることで、計算された高い音を出すことができます。これがフラジオレットの科学的な仕組みです。難しく感じるかもしれませんが、「弦の振動のツボを押して、隠れた高い音を引き出す」というイメージを持つとわかりやすいでしょう。
フラジオレット独自の音色の魅力
フラジオレットの最大の特徴は、その音色にあります。通常の奏法(実音)で出す高い音は、弦の張力が強く、鋭くはっきりとした音質になりがちです。しかし、フラジオレットで出す音は、空気を含んだような、柔らかく浮遊感のある響きを持っています。
この特性から、静かな湖面や星空、あるいは精霊の登場といった、非現実的で幻想的なシーンを表現するのによく用いられます。オーケストラの中でソロバイオリンがフラジオレットを奏でると、会場の空気が一瞬で変わるほどの存在感があります。
また、左手の移動(ポジション移動)を減らすための合理的な手段として使われることもあります。高いポジションまで手を動かさなくても、低いポジションのままで高音が出せるため、速いパッセージの中で効果的に活用されることもあるのです。
楽譜での表記と2つの種類の違い

フラジオレットを演奏するためには、楽譜に書かれている記号を正しく読み取る必要があります。楽譜上では主に2種類の表記法があり、それぞれ「自然フラジオレット」と「人工フラジオレット」に対応しています。この2つの違いを明確にしておきましょう。
自然フラジオレット(ナチュラルハーモニクス)
「自然フラジオレット」は、開放弦(何も押さえていない弦)の状態を利用して行う、比較的易しい奏法です。弦の長さの2分の1、3分の1、4分の1といった特定のポイントに指を触れるだけで音が鳴ります。
楽譜での表記は、主に以下の2パターンがあります。
1. 音符の上に「◯」や「0」が書かれている場合
通常の音符の上に小さな丸印がついています。これは「その音程が出る場所でフラジオレットを弾いてください」という意味です。実際に出したい音がそのまま書かれています。
2. ひし形(◇)の音符のみが書かれている場合
開放弦を示す音符ではなく、指で触れるべき場所がひし形の音符で示されています。この場合、実際に出る音は楽譜に書かれている高さとは異なることがあります(例:第3ポジションの場所を触るが、出る音は2オクターブ上など)。
初心者の方が最初に出会うのは、この自然フラジオレットであることが多いでしょう。特に開放弦のオクターブ上の音(弦の真ん中)は、チューニングの確認や曲の最後によく使われます。
人工フラジオレット(アーティフィシャルハーモニクス)
「人工フラジオレット」は、任意の音を作り出し、その倍音を鳴らす高度なテクニックです。自然フラジオレットは開放弦に基づくため出せる音が限られていますが、人工フラジオレットを使えば、バイオリンのすべての音階をフラジオレットの音色で演奏することが可能になります。
基本的には、人差し指(1の指)で弦をしっかり押さえて土台となる音(基音)を作り、小指(4の指)でその4度上の位置に軽く触れるという方法をとります。
楽譜での表記は非常に特徴的です。
通常の音符(●)の上に、ひし形の音符(◇)が重なっている
下の黒い音符(●)は「1の指でしっかり押さえる音」、上のひし形(◇)は「4の指で軽く触れる場所」を示しています。この2つの音程差は通常「完全4度」です。
この奏法で実際に出る音は、1の指で押さえた音の「2オクターブ上」の音になります。見た目と出る音が大きく異なるため、慣れるまでは頭の中で変換するのが少し大変かもしれません。
自然フラジオレットの弾き方とコツ

まずは基本となる「自然フラジオレット」の弾き方をマスターしましょう。特に「指の触れ方」と「弓の使い方」が成功のカギを握っています。
指の触れ方が最重要!弦を押さえつけない
フラジオレットがうまく鳴らない最大の原因は、左手の指で弦を「押さえすぎている」ことです。普段の演奏では「指板までしっかり弦を沈める」ことが基本ですが、フラジオレットではその常識を捨てなければなりません。
指の腹の柔らかい部分を使い、弦の表面に「そっと置く」イメージを持ちましょう。弦が指板から浮いている状態をキープすることが大切です。もし指先に弦の跡(溝)がくっきりと残るようであれば、それは力が入りすぎています。
【コツ】
自分の腕の皮膚に指先で触れてみてください。皮膚が凹まない程度に優しく触れる感覚、それがフラジオレットのタッチです。
また、触れる面積もポイントです。指を寝かせすぎてベタッと触れると振動を止めてしまうことがあります。適度に指を立てて、ピンポイントで振動の節(ノード)を捉えるように意識してください。
弓のスピードと圧力のバランス
左手が完璧でも、右手のボウイング(運弓)が適切でないときれいな音は鳴りません。フラジオレットを弾く際のボウイングには、通常とは少し異なるバランス感覚が求められます。
基本的には、「弓のスピードを速く」し、「圧力は控えめにする」のがコツです。弓をゆっくり動かしすぎたり、強く押し付けすぎたりすると、「ギー」というノイズが混じったり、音が潰れてしまったりします。
弓の毛全体を弦に密着させ、サッと風が吹き抜けるように素早く弓を走らせてみてください。発音が悪いと感じる場合は、弓を普段よりも少し「駒(ブリッジ)」の方へ近づけて弾いてみましょう。駒寄りの弦は張力が強く、高次倍音が鳴りやすいため、クリアな音が出やすくなります。
よく使われるポジションと場所の探し方
自然フラジオレットで特によく使われる場所を覚えておきましょう。場所さえ覚えてしまえば、いつでも美しい音が出せるようになります。
1. 弦のちょうど真ん中(オクターブ)
開放弦の1オクターブ上の音です。場所は、通常の演奏でいうところの「第1ポジションの小指(4の指)」ではなく、それよりも高い位置にあります。楽器のボディとネックの付け根あたりを探ってみてください。ここを触ると、開放弦と同じ音名の高い音が鳴ります。
2. 第3ポジションの1の指付近(12度上)
開放弦のオクターブ+5度上の音が出ます(例:A線なら高いミの音)。ここは第1ポジションからシフトしてすぐに見つかる場所なので、頻繁に使われます。
3. 第1ポジションの3の指付近(2オクターブ上)
通常の第1ポジションの薬指(3の指)の位置あたりを軽く触れると、開放弦の2オクターブ上の非常に高い音が鳴ります(例:A線ならさらに高いラの音)。
正確な位置を知るには、チューナーを使うのが一番です。狙った音(倍音)が鳴るポイントを、ミリ単位で指をずらしながら探してみてください。「ここだ!」というツボ(スポット)が見つかるはずです。
【上級編】人工フラジオレットの弾き方

次に、多くの学習者が壁を感じる「人工フラジオレット」の攻略法です。指の形(フォーム)を安定させることが何よりも重要になります。
1の指と4の指の「4度」の枠を作る
人工フラジオレットの基本形は、1の指で基音をしっかり押さえ、4の指で完全4度上の位置に触れるスタイルです。この「1の指と4の指の距離感」を体に覚え込ませることが最初のステップです。
まずはフラジオレットとして弾かず、「1の指と4の指の両方をしっかり押さえて、完全4度の重音」を弾いてみましょう。きれいなハモリ(完全4度)になっていれば、指の位置関係は正しいです。
その位置関係を保ったまま、4の指の力だけをフッと抜きます。すると、今まで重音だった響きが、突然「ピーーン」という高い単音(フラジオレット音)に変化します。この感覚を掴むことができれば、成功したも同然です。
音が鳴らない原因と対策
人工フラジオレットで音が鳴らない、あるいはカスレてしまう主な原因は以下の3つです。
1. 1の指の押さえが甘い
土台となる1の指がしっかり押さえられていないと、弦の振動が安定しません。4の指を気にするあまり、1の指がおろそかになりがちです。まずは1の指を確実に固定しましょう。
2. 4の指の位置が微妙にずれている
倍音が出るポイント(節)は非常に狭いです。少しでも指がずれると音が消えます。4の指を微調整して、最も響くポイントを探ってください。
3. 4の指が他の弦に触れている
小指が寝てしまい、隣の弦に触れていると振動が止まります。左肘を少し内側(右側)に入れることで、指を立てやすくなり、正確なタッチが可能になります。
特に手の小さい方にとって、1の指と4の指を広げるのは大変です。無理に指だけで広げようとせず、手首や肘の角度を工夫して、指が届きやすいフォームを見つけることが大切です。ハイポジションに行くほど指の間隔は狭くなるので、高音域の方が届きやすくなる場合もあります。
フラジオレットを美しく響かせるための練習方法

理屈がわかっても、すぐに曲の中で実践するのは難しいものです。ここでは、段階的に上達するための練習ステップをご紹介します。
ステップ1:開放弦でのボーイング練習
まずは左手を使わず、開放弦だけで「フラジオレットに適したボウイング」を練習します。
通常の弾き方よりも弓のスピードを2倍くらい速くし、弓の重さをあまり乗せないようにして弾いてみましょう。「ヒュッ」という風切音が混じるくらい軽くても構いません。弓を駒の近くに置いたり、指板寄りに置いたりと場所を変えて、音色がどう変化するかを観察します。
このとき、肩の力を抜いて、腕全体をリラックスさせることが重要です。脱力の感覚を掴みましょう。
ステップ2:自然フラジオレットの場所探しゲーム
次に、楽器を持って自然フラジオレットのポイントを探す練習です。
弦の上を、指一本で下(ナット側)から上(駒側)へ向かって、軽く触れながら滑らせていきます(グリッサンドのように)。
すると、ある特定の場所に来た時だけ「ポーン」「ヒュイーン」と高い音がきれいに響くポイントがいくつも見つかります。これがすべてフラジオレットのポイントです。「こんな場所でも鳴るんだ!」という発見を楽しむことで、指の力加減や触れる感覚が自然と養われます。
ステップ3:スケール(音階)練習への取り入れ
ある程度慣れてきたら、いつもの音階練習(スケール)の最後に、主音(トニック)のフラジオレットを入れてみましょう。
例えば、G dur(ト長調)の音階を弾いた後、最後にG線の真ん中(オクターブ上のソ)や、G線の第1ポジション3の指の位置(2オクターブ上のソ)を自然フラジオレットで鳴らして締めくくります。これにより、曲の終わりでよく出てくる「響きを残して終わる」実践的な技術が身につきます。
ステップ4:人工フラジオレットの連続練習
人工フラジオレットに挑戦する際は、簡単なメロディをすべて人工フラジオレットで弾いてみるのも良いトレーニングです。「きらきら星」などのシンプルな曲を、1の指と4の指の形を崩さずに演奏してみましょう。
音程が外れやすいので、最初はゆっくりと、一音ずつ確かめながら進めます。指の幅(フレーム)を一定に保ちながらポジション移動をする、高度な左手のコントロール力が鍛えられます。
まとめ
バイオリンのフラジオレットについて、その仕組みから弾き方のコツ、練習方法までを解説してきました。最後に要点を振り返ってみましょう。
・フラジオレットは「押さえずに触れる」ことが最大のポイント
弦の振動を止めないよう、指の腹で優しく触れる感覚を大切にしてください。
・楽譜の「◯」と「◇」の違いを理解する
自然フラジオレットと人工フラジオレット、それぞれの記号の意味を知ることで、楽譜を見た瞬間に対応できるようになります。
・弓は「速く、軽く」を意識する
通常の演奏よりも弓のスピードを上げ、適切な圧力で弾くことで、透明感のある倍音がきれいに響きます。
・人工フラジオレットは「1の指」が土台
1の指をしっかり押さえ、4の指を軽く触れる。この役割分担と、正確な4度の距離感が成功の秘訣です。
フラジオレットは、バイオリンという楽器が持つ「倍音」の豊かさを最大限に生かした美しい奏法です。最初はきれいな音が鳴らずに苦戦するかもしれませんが、コツを掴んだ瞬間に「ポーン」と抜けるような音が鳴る喜びは格別です。
ぜひ日々の練習の中に少しずつ取り入れて、あなたの演奏表現のパレットに、この透き通るような音色を加えてみてください。

