クラシック音楽の世界には数多くの名曲が存在しますが、その中でも特に謎めいた魅力で人々を惹きつけてやまないのが、フランツ・シューベルト作曲の「未完成交響曲」です。なぜこの曲は「未完成」と呼ばれるのでしょうか?そして、なぜ未完成でありながらこれほどまでに愛され、頻繁に演奏されるのでしょうか。
バイオリンを演奏する方にとっても、オーケストラでこの曲に出会う機会は非常に多いはずです。冒頭の繊細な刻みや、美しくも切ない旋律は、弾くたびに新しい発見を与えてくれます。この記事では、未完成交響曲の基礎知識から、なぜ未完成のままなのかというミステリー、そしてバイオリン奏者視点での演奏のポイントまで、その深淵な魅力を余すところなく解説します。
未完成交響曲の基本情報とシューベルトについて

まずは、この楽曲がどのような背景で生まれたのか、そして作曲者であるシューベルトがどのような人物だったのかという基本的な情報から整理していきましょう。クラシック音楽の歴史において、この曲は非常に特殊な立ち位置にあります。
一般的に交響曲といえば、全4楽章で構成されるのが古典派以降の常識でした。しかし、この曲はその常識を覆す形式をとっています。ここでは、楽曲の基本データと作曲者について、そして少々ややこしい「番号」の問題について詳しく見ていきます。
「歌曲の王」フランツ・シューベルト
フランツ・シューベルト(1797-1828)は、オーストリアのウィーン郊外で生まれました。彼はわずか31年という短い生涯の中で、600曲以上のドイツ歌曲を作曲し、「歌曲の王」と称されています。「野ばら」や「魔王」、「アヴェ・マリア」など、皆さんも一度は耳にしたことがある名曲ばかりでしょう。
彼の音楽の特徴は、なんといってもその溢れ出るような「歌」にあります。交響曲や室内楽といった器楽曲であっても、まるで人間の声が歌っているかのような流麗で美しいメロディが次々と現れるのが特徴です。ベートーヴェンを深く尊敬しながらも、ベートーヴェンのような「構築する音楽」とは一味違う、抒情的で心に寄り添うような音楽世界を築き上げました。
なぜ「未完成」と呼ばれるのか
この交響曲が「未完成」と呼ばれる最大の理由は、楽章の数にあります。ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンによって確立された交響曲の形式は、通常「急・緩・舞・急」の4楽章構成が基本です。しかし、この作品は第1楽章と第2楽章までしか完成されていません。
第3楽章(スケルツォ)は、ピアノスケッチと冒頭のオーケストレーション(管弦楽編曲)がわずかに残されているだけで、第4楽章に至っては影も形もありません。それにもかかわらず、第1楽章と第2楽章の完成度は極めて高く、音楽としての美しさが完璧であるため、今日では2つの楽章だけで一つの作品として演奏会に取り上げられています。
「第7番」なのか「第8番」なのか?
未完成交響曲について調べると、ある場所では「第8番」、またある場所では「第7番」と表記されており、混乱することがあります。これは、シューベルトの研究が進むにつれて、作品番号の整理が行われたためです。
かつては「未完成」を第8番、長大なハ長調の交響曲(ザ・グレート)を第9番(あるいは第7番)と呼んでいました。しかし、以前「第7番」とされていたホ長調の交響曲が実は完成されていなかったことや、作曲年代の整理により、現在では国際的なシューベルト協会において「未完成」を第7番とする見解が強まっています。とはいえ、長年親しまれた「第8番」という呼び名も根強く残っており、日本では「第7番(旧第8番)」のように併記されることが一般的です。
なぜ未完成のままなのか?囁かれる数々の説

シューベルトはなぜ、この美しい交響曲を完成させなかったのでしょうか?あるいは、完成させることができなかったのでしょうか?この謎は「クラシック音楽史上最大のミステリー」の一つとも言われ、古くから多くの研究者や愛好家の想像力をかき立ててきました。
実は、彼がこの曲を作曲したのは1822年、亡くなる6年も前のことです。つまり、死によって中断されたわけではありません。ここでは、現在有力視されている説や、かつて語られてきたロマンティックな逸話について詳しく解説します。
自身の病と絶望による放棄説
最も有力な説の一つが、シューベルトの健康状態に関するものです。この曲を作曲し始めた1822年頃、シューベルトは当時不治の病と恐れられていた梅毒を発症したと言われています。死への恐怖や闘病の苦しみが、この楽曲の作曲時期と重なっていました。
第1楽章の冒頭から感じられる深淵な暗闇や不安は、まさに死の影を感じ取った彼自身の心情の吐露かもしれません。そして、この曲を作曲すること自体が、彼にとって病の苦しい記憶を呼び起こすものとなってしまい、筆を折ってしまったのではないか、という考え方です。あまりにも辛い記憶と結びついた作品を、彼は封印したかったのかもしれません。
「第2楽章までで完璧すぎた」という芸術的理由
音楽的な観点からの説得力ある説として、「第1楽章と第2楽章の完成度が高すぎたため、それに続く第3楽章以降が書けなくなった」というものがあります。実際に残された第3楽章のスケッチを見ると、前の2つの楽章が持つ圧倒的な深みや革新性に比べ、やや平凡な舞曲風の構想であったことが指摘されています。
シューベルト自身も、書き進めるうちに「これ以上のものを続けることは蛇足になる」と感じたのではないでしょうか。ベートーヴェンへの憧れと、独自のロマン派的な世界観の狭間で、彼はこの2つの楽章だけで「言いたいことは全て言い切った」と無意識に悟ったのかもしれません。結果として、この形式が最も美しい形として残ることになりました。
楽譜が忘れ去られていた?「紛失・放置」説
シューベルトの性格に由来する説もあります。彼は非常に多作で、次から次へと新しいアイデアが湧いてくる天才肌でしたが、同時に自分の作品の管理には無頓着な一面もありました。書き上げた楽譜を友人の引き出しに入れたまま忘れてしまうこともあったそうです。
実際、この「未完成交響曲」の楽譜は、彼がグラーツの音楽協会から名誉会員の称号を贈られた際、その返礼として友人のアンゼルム・ヒュッテンブレンナーに送られました。しかし、ヒュッテンブレンナーはこの楽譜を40年以上も自宅の机の中にしまい込み、公開しなかったのです。シューベルト自身も、送ったきりそのことを忘れてしまったか、あるいは「続きはまた後で送る」と言ったまま、他の作品(「さすらい人幻想曲」など)に興味が移ってしまった可能性も十分にあります。
多忙とスランプによる中断説
当時のシューベルトは、経済的な成功を求めてオペラの作曲に力を入れたり、ピアノ曲の依頼を受けたりと、非常に多忙な日々を送っていました。交響曲という巨大なジャンルに取り組むには、精神的にも時間的にも大きなエネルギーが必要です。
第3楽章の作曲に行き詰まっている間に、より収入に繋がりやすい仕事や、別のインスピレーションが湧いた作品へと関心が移っていったとも考えられます。彼にとって「未完成」のまま放置された作品は実はこの曲だけでなく、ピアノソナタや他の交響曲スケッチにも多数存在します。この曲もまた、天才の頭の中を駆け巡る無数のアイデアの一つとして、一時停止されたまま永遠の眠りについてしまったのかもしれません。
楽曲構成と聴きどころを徹底分析

ここでは、実際に音楽を聴く際や演奏する際に注目すべきポイントを、楽章ごとに詳しく解説します。全2楽章というコンパクトな構成ながら、そこには人間の感情の全てが詰まっていると言っても過言ではありません。
第1楽章の地獄を覗き込むような暗さと、第2楽章の天国的な美しさ。この対比こそが「未完成交響曲」の最大の魅力です。オーケストラの楽器がどのように使われているかにも注目してみましょう。
第1楽章:深淵なる闇と魂の叫び
第1楽章(ロ短調)は、チェロとコントラバスによる、地を這うような不気味なユニゾン(同音演奏)で幕を開けます。この冒頭のテーマは「地下冥府からの響き」とも形容され、聴く人を一瞬で緊張感のある世界へと引き込みます。これに続くバイオリンの細かく震えるような伴奏(16分音符の刻み)に乗って、オーボエとクラリネットが哀愁を帯びた第一主題を奏でます。
一方で、第2主題はト長調へと転じ、チェロが朗々と歌い上げる有名なメロディが登場します。ここはウィーンのレントラー(舞曲)風でありながら、どこか儚さを秘めています。展開部では再び悲劇的な激しさが戻り、トロンボーンが絶望的な咆哮を上げます。このトロンボーンの使用は、当時の交響曲としては非常に珍しく、シューベルトが表現したかった「闇」の深さを象徴しています。
第2楽章:天上の安らぎと慰め
激しい葛藤の第1楽章から一転して、第2楽章(ホ長調)は穏やかで安息に満ちた世界が広がります。コントラバスのピチカート(指で弦を弾く奏法)に導かれ、バイオリンが優しく下降する旋律を奏でる冒頭は、まるで天国から光が差し込むような美しさです。
この楽章でも木管楽器が大活躍します。特にクラリネットによるソロ・パートは、孤独でありながらも温かみのある、シューベルト屈指の名旋律として知られています。曲の後半では、長調と短調が頻繁に入れ替わり、美しい思い出の中にふと悲しみがよぎるような、シューベルト特有の「移ろいゆく感情」が見事に表現されています。最後は、静寂の中へと消え入るように終わります。
幻の第3楽章と「完成版」の存在
先述の通り、第3楽章にはスケッチが存在します。一部の音楽学者や作曲家(ブライアン・ニューボールドなど)によって、このスケッチを元にオーケストレーションを施し、さらに第4楽章として劇付随音楽「ロザムンデ」の間奏曲などを転用して、全4楽章の「完成版」として演奏する試みも行われています。
これらの「完成版」を聴いてみると、シューベルトがどのような構想を持っていたかを知る手がかりにはなります。しかし、多くの指揮者や聴衆は、やはり第2楽章までの「未完成」の状態こそが、この作品の至高の姿であると感じているようです。皆さんも機会があれば、補筆された第3楽章を聴いてみて、なぜシューベルトがそこで筆を止めたのか、想像を巡らせてみるのも面白いでしょう。
バイオリン弾きから見た未完成交響曲の凄さ

ここからは、バイオリンブログらしく、演奏者(特にバイオリン奏者)の視点からこの曲の難しさや弾きがいについて深掘りしていきます。「未完成交響曲」は、アマチュアオーケストラでも頻繁に取り上げられる人気曲ですが、バイオリンパートには特有の難所がいくつも存在します。
譜面自体は一見すると音符が少なくシンプルに見えるかもしれません。しかし、実際に弾いてみると「シューベルトの怖さ」を思い知ることになります。その理由を具体的に見ていきましょう。
冒頭の「さざ波」:弓のコントロールの極意
第1楽章の開始直後、バイオリンパートには16分音符の刻みが現れます。これは単なる伴奏ではありません。静寂の中に不安げな鼓動を表現するための重要な要素です。譜面には「pp(ピアニシモ)」と書かれており、非常に小さな音で、かつ粒立ちを揃えて演奏しなければなりません。
ここで求められるのは、高度な右手のボウイング技術です。弓の毛を弦に密着させすぎず、かといって浮かせすぎず、絶妙な接点をキープし続ける必要があります。弓の元(手元)を使うのか、中弓を使うのか、指揮者やコンサートマスターの指示によって変わりますが、全員が息を合わせて「ザワザワ……」という均質な音色を作るのは、プロのオーケストラでも神経を使う瞬間です。
「歌う」ことの難しさ:レガート奏法
シューベルトの作品全般に言えることですが、バイオリンには常に「歌心」が求められます。特に第2楽章の美しい旋律を弾く際は、途切れることのない滑らかなレガート(音と音を滑らかにつなげる奏法)が必要です。
左手のヴィブラートも重要ですが、それ以上に右手の弓の配分(サウンディング・ポイントの移動や弓のスピード)が鍵を握ります。フレーズの頂点に向かってどのようにクレッシェンドしていくか、また、フレーズの終わりをどのように優しく収めるか。まるで優れた歌手がブレス(息継ぎ)をコントロールするように、弓を操らなければなりません。技術的な速弾きとは異なる、音楽的な表現力が試される曲と言えます。
アンサンブル能力:他パートを「聴く」耳
未完成交響曲のバイオリンパートは、主旋律を担当することもあれば、木管楽器やチェロのソロを裏で支える伴奏に回ることも多々あります。特に、有名な第2主題(チェロのメロディ)のバックで演奏するシンコペーションのリズムは、単調になりがちですが、決して邪魔をしてはいけません。
ソリスト(主旋律)がどのように歌いたいのか、テンポを揺らしたいのかを瞬時に感じ取り、それに寄り添う柔軟性が求められます。自分の音に没頭するのではなく、オーケストラ全体の響きの中に自分の音を溶け込ませる「耳」を持つことが、この曲を美しく演奏するための最大のポイントです。
演奏会で楽しむための豆知識とマナー

最後に、実際にコンサートで「未完成交響曲」を聴く際、あるいは誰かにこの曲を紹介する際に知っておくと役立つ豆知識や、少し気をつけるべきマナーについてお伝えします。
この曲ならではの特殊な事情や、歴史的な背景を知っておくことで、鑑賞体験がより深いものになるはずです。リラックスして音楽に浸るためのヒントとして活用してください。
第1楽章終了後の「拍手」は要注意?
コンサートにおいて、楽章の切れ目では拍手をしないのが一般的なマナーとされていますが、特にこの曲では注意が必要です。第1楽章は非常にドラマティックで、最後は「ジャン!」と力強く終わるため、事情を知らないと「曲が終わった」と勘違いして拍手をしてしまいそうになります。
しかし、物語はまだ続いています。第1楽章の悲劇的な結末から、第2楽章の天国的な静けさへと移り変わるその「間(ま)」こそが、この交響曲の最も美しい瞬間の一つです。指揮者がタクトを下ろし、緊張感が解かれるその時まで、静寂を共有することも音楽の一部として楽しんでみてください。
発見から初演まで43年!奇跡の復活劇
この名曲が世に出るまでには、ドラマのような経緯がありました。前述の通り、シューベルトが亡くなったのは1828年ですが、この曲がウィーンで初演されたのは、なんと1865年のことです。作曲から43年、死後37年もの歳月が流れていました。
指揮者のヨハン・ヘルベックが、シューベルトの友人ヒュッテンブレンナーを訪ね、埃をかぶっていた楽譜を発見しなければ、私たちはこの名曲を知らないままだったかもしれません。演奏会でこの曲を聴くときは、長い間眠っていた楽譜が再び息を吹き返し、現代の私たちに感動を与えてくれているという「奇跡」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
三大「未完成」交響曲をご存知ですか?
クラシック音楽界には、シューベルト以外にも有名な未完成交響曲が存在します。これらを合わせて「三大未完成交響曲」と呼ぶことがあります(定義は諸説あります)。
【主な未完成交響曲】
● シューベルト:交響曲第7番「未完成」
最も有名。2楽章で完結した美を持つ。
● ブルックナー:交響曲第9番
第3楽章まで完成。神に捧げられた荘厳な響き。
● マーラー:交響曲第10番
第1楽章のみ完成(他はスケッチ)。死の予感と妻への愛憎が入り混じる。
もしシューベルトの未完成交響曲を気に入ったら、ぜひブルックナーやマーラーの未完成交響曲も聴いてみてください。作曲家たちが人生の最期にどのような音楽を見つめていたのか、その深淵に触れることができるでしょう。
まとめ:未完成交響曲が今なお愛され続ける理由
フランツ・シューベルトの「未完成交響曲」は、単に「続きが書かれなかった曲」ではありません。それは、深淵な悲しみと天国的な美しさが奇跡的なバランスで共存する、音楽史上稀に見る傑作です。
全2楽章という形式は、結果としてこの作品の凝縮された美しさを際立たせることになりました。バイオリンを弾く人にとっては、繊細な弓のコントロールや歌心を学ぶ絶好の教材であり、聴く人にとっては、心の中に静かに寄り添ってくれる癒やしの音楽でもあります。
なぜ未完成なのかという謎にロマンを感じつつ、ぜひ改めてこの名曲に耳を傾けてみてください。きっと、その美しい旋律の中に、シューベルトが私たちに残したかった「言葉にならないメッセージ」を感じ取ることができるはずです。



